肥前鳥居その24 、佐賀県四面神社
2013年08月23日
しろちゃ at 14:05 | Comments(0) | 肥前鳥居巡り
温泉へ行く前にチョイと肥前鳥居でも見に行こうと佐賀県佐賀市の嘉瀬町方面にある『四面神社』へ〜。
嘉瀬元町公民館近くにある当神社は、大宝元(701)年、行基によって開かれた温泉(うんぜん)山満明寺の鎮守社として創建されたものらしく、案内板には
「諌早神・温泉神・支々岐神・千々岩神の四柱の神を主神とし、天照皇大神他三十社の分霊が合祀されてある。創始の年代は不詳であるが、元享二年(1322)源満員が再興し、正長元年(1428)に源胤重が修繕したとの記録がある〜」
〜と書かれてあります。
他にも、四面神社のことを調べて書かれているHPを見てみると
「平胤貞(たねさだ)が建久3年(1192)に再建したとの記録がある」
〜と書かれていたりもします。
ま、私にはサッパリちゃんだし、鳥居目的でやって来ているので、その先の鳥居の説明を参考に話を続けます。
肥前鳥居ではありませんが、神社から数百メートル離れた場所にある「一の鳥居」は、鍋島二代藩主、光茂と家老5名の寄進で
「二の鳥居」こと『肥前鳥居』は寛永11年(1634年)鍋島初代藩主勝茂の寄進 によるものであるそうです。
コチラの肥前鳥居は柱が二本継ぎで、額には「四面宮」の文字が。
貫の一部は補修されていますが、他に目立った跡はなく、目立つといえば朝っぱらからアパート隣で鳥居の写真を撮ってる私くらいじゃないでしょうか。
参道の石橋は道路の一部と化しており、
境内に入るとまず目にとまったのが狛犬の耳。
まるでMr.スポックのようにピンと聞き耳をたてています。
あまり見かけないだけに珍しいよ。
それでは神社にてご挨拶。
‥さぁてと、それじゃあ朝一番の古湯温泉にでも浸かりに行きますかね。
■佐賀県 四面神社
■佐賀県佐賀市嘉瀬町
■寛永11年(1634年)
■肥前鳥居(二の鳥居)
嘉瀬元町公民館近くにある当神社は、大宝元(701)年、行基によって開かれた温泉(うんぜん)山満明寺の鎮守社として創建されたものらしく、案内板には
「諌早神・温泉神・支々岐神・千々岩神の四柱の神を主神とし、天照皇大神他三十社の分霊が合祀されてある。創始の年代は不詳であるが、元享二年(1322)源満員が再興し、正長元年(1428)に源胤重が修繕したとの記録がある〜」
〜と書かれてあります。
他にも、四面神社のことを調べて書かれているHPを見てみると
「平胤貞(たねさだ)が建久3年(1192)に再建したとの記録がある」
〜と書かれていたりもします。
ま、私にはサッパリちゃんだし、鳥居目的でやって来ているので、その先の鳥居の説明を参考に話を続けます。
肥前鳥居ではありませんが、神社から数百メートル離れた場所にある「一の鳥居」は、鍋島二代藩主、光茂と家老5名の寄進で
「二の鳥居」こと『肥前鳥居』は寛永11年(1634年)鍋島初代藩主勝茂の寄進 によるものであるそうです。
コチラの肥前鳥居は柱が二本継ぎで、額には「四面宮」の文字が。
貫の一部は補修されていますが、他に目立った跡はなく、目立つといえば朝っぱらからアパート隣で鳥居の写真を撮ってる私くらいじゃないでしょうか。
参道の石橋は道路の一部と化しており、
境内に入るとまず目にとまったのが狛犬の耳。
まるでMr.スポックのようにピンと聞き耳をたてています。
あまり見かけないだけに珍しいよ。
それでは神社にてご挨拶。
‥さぁてと、それじゃあ朝一番の古湯温泉にでも浸かりに行きますかね。
■佐賀県 四面神社
■佐賀県佐賀市嘉瀬町
■寛永11年(1634年)
■肥前鳥居(二の鳥居)
日本三大八幡宮『筥崎宮』大鳥居を見に行く
肥前鳥居その68、佐賀県轟木日子神社
肥前鳥居みたいな『筥崎宮』の筥崎鳥居
肥前鳥居その67、長崎県三柱神社
肥前鳥居その66、佐賀県鷹屋神社
肥前鳥居その65、佐賀県岡山神社(小城公園)
肥前鳥居その64、佐賀県下石動天満宮
肥前鳥居その63、福岡県三島神社(三豬町)
肥前鳥居その62、佐賀県藤ノ木天満宮
地震後の肥前鳥居 (佐賀県新北神社)
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