河童寺の『円応寺』
2015年01月30日
中津の河童伝説
大分県中津市の城下町を歩く。
黒田官兵衛ゆかりの寺町通りは多くの寺院が築かれています。
その中で通称「河童寺」と呼ばれるちょっと気になるお寺があったので寄ってみました。

河童寺こと『円応寺』
黒田官兵衛が中津に来て開いたお寺で、真誉上人(しんよしょうにん)が開山。
黒田氏をはじめとして細川、小笠原と中津の歴代藩主に守られてきたお寺です。
でも、そんな歴史あるお寺が何故に河童寺?
門を入ると「河童の墓」の目印が。
河童の墓?
だから河童寺なのか!
とりあえず河童のお墓とやらに行ってみますよ。
境内の墓地が並ぶその奥に「河童のお墓」がありました。

う〜む、これが河童の墓と云われても、そうですかとしかいいようがないのです。
他にも「河童の池」がありました。

江戸中期、当寺の寂玄(じゃくげん)上人が河童共を仏門に入らせ頭目三匹に戒名を授け、河童がそのお礼に寺を火災から守ったという伝説が残るそうです。
その伝説からいうように、寂玄上人が造った河童の墓と河童の池がこちらにあるワケなのですね。
寺の瓦も河童守りの「水」印で。

なるほどね〜
じゃあ河童の墓に違いない!
…でも、河童の墓は「下毛郡誌」によると黒田二十四騎の一人・野村太郎兵衛祐勝(のむらたろうべえすけかつ)の墓ともいわれているそうですよ。
え!?Σ( ̄□ ̄;)
どっちやねん!!
これが河童の墓といわれても、これが野村太郎兵衛といわれても、そうですかとしかいいようがないのです。
う〜む。
とりあえず河童の墓にしとこか〜。
■鏡智山 円応寺(通称・河童寺)
■大分県中津市寺町961-2
■見学自由、(10〜17時頃)
■1587年(天正15)黒田官兵衛が開基
大分県中津市の城下町を歩く。
黒田官兵衛ゆかりの寺町通りは多くの寺院が築かれています。
その中で通称「河童寺」と呼ばれるちょっと気になるお寺があったので寄ってみました。

河童寺こと『円応寺』
黒田官兵衛が中津に来て開いたお寺で、真誉上人(しんよしょうにん)が開山。
黒田氏をはじめとして細川、小笠原と中津の歴代藩主に守られてきたお寺です。
でも、そんな歴史あるお寺が何故に河童寺?
門を入ると「河童の墓」の目印が。
河童の墓?
だから河童寺なのか!
とりあえず河童のお墓とやらに行ってみますよ。
境内の墓地が並ぶその奥に「河童のお墓」がありました。

う〜む、これが河童の墓と云われても、そうですかとしかいいようがないのです。
他にも「河童の池」がありました。

江戸中期、当寺の寂玄(じゃくげん)上人が河童共を仏門に入らせ頭目三匹に戒名を授け、河童がそのお礼に寺を火災から守ったという伝説が残るそうです。
その伝説からいうように、寂玄上人が造った河童の墓と河童の池がこちらにあるワケなのですね。
寺の瓦も河童守りの「水」印で。

なるほどね〜
じゃあ河童の墓に違いない!
…でも、河童の墓は「下毛郡誌」によると黒田二十四騎の一人・野村太郎兵衛祐勝(のむらたろうべえすけかつ)の墓ともいわれているそうですよ。
え!?Σ( ̄□ ̄;)
どっちやねん!!
これが河童の墓といわれても、これが野村太郎兵衛といわれても、そうですかとしかいいようがないのです。
う〜む。
とりあえず河童の墓にしとこか〜。
■鏡智山 円応寺(通称・河童寺)
■大分県中津市寺町961-2
■見学自由、(10〜17時頃)
■1587年(天正15)黒田官兵衛が開基
真清田神社後にモーニング
観光で時間あるなら寄るだろな内海湾『小島神社』
岡山県『高梁基督教会堂』
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迫力満点!落差日本一滝『那智の滝』
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