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思い出のマーニー

2014年07月31日

 しろちゃ at 20:19  | Comments(0) | 映画

この世には目に見えない魔法の輪がある。
輪には内側と外側があって、私は外側の人間。
でもそんなのはどうでもいいの。
私は、私が嫌い。

そんな感じで始まるスタジオジブリの映画『思い出のマーニー』を観に行ってきました。

元はイギリスの作家ジョーン・ロビンソンの児童文学が原作。

固く心を閉ざす主人公の少女アンナが謎の少女マーニーと出会う事で成長していく物語。

予告編の映像で何となく内容が予想できて、実際映画を観ていくと先が読めて、だけど最後にヘェーとまとめられていく話。

寝不足なのによく映画なんて観に行くなと我ながら感心。

ちゃんと観てたんか?
もしや、これは夢?
いや、夢じゃないわ。

でもそんなのはどうでもいいの。
私も私が嫌いだから。

何がそんなに嫌いかって?

私は私のとおり。 ブラブラと時間をもて余すヒマジンで、食べ過ぎで。 私は、私が嫌い……

だって何より映画にすぐ影響される「太っちょ豚」だもん。

さぁて、この後何を食べようかなぁ〜♪
(^o^)/







  
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笑刻ギャラリー『くすくす』でアートを笑って楽しんで

2014年07月29日

 しろちゃ at 16:31  | Comments(4) | 私の歩いた足あと | 鑑賞 | 静岡ぶら


友人が今回のブラリで最後に案内してくれた推しの場所は、静岡県焼津市の自転車屋さん。


‥え?そりゃ確かに私の人生かなり自転車操業的ですけど、これはギャグですか?それとも自転車買って九州まで帰って痩せろと?

どうもこれはギャグでも皮肉でもないようで、友人の連れてきた目的は、自転車屋さんの一部を一室にしている『笑刻ギャラリー くすくす』でした。


笑彫ギャラリー?
何だそりゃ?それもギャグか?

この辺りではかなり有名のようで、焼津市の自転車屋さんが造る彫刻がかなり面白いアートなのです。

しかも来るもの拒まぬ無料のギャラリー。

「ダックスフンドシ」?


「ベンキですかー」?


「たまごっ血」??!


ちょうどの彫刻家ならぬ笑刻家の「岩崎さん」が本業の自転車業をそのままにして私達を相手してくれました。


一見真面目そうな方ですが、これがまた話好きでギャグセンスをアイデアとして爆発させる芸術家。

室内に入ると木彫作品が数多く並べられています。

結構無造作に置いていて足もと近くの作品なんてホコリをかぶってたりしています。

そんな笑刻家岩崎さんの面白い作品を幾つか紹介。

「あたしのジョー」


昔話「はなさんか!じじい」


「赤い靴はいてた女の子」


「タマの腰に乗る」


見てもらってわかるように岩崎さんの作品は言葉の面白さをそのまま作品にしている所です。

しかもその作品がどれも魅力溢れているというもんだからこれまたスゴい。

最初は仏像を趣味で彫られていたそうですが、50歳の時にギャグ作品を展示会に出展。
全国でもこの手の作品を制作する方はいないそうで、一躍「笑刻家」の第一人者に。

そんな笑刻家が誕生するキッカケとなった最初の作品がコチラ
「そんなババナ」(バナナの中身がトウモロコシ)


、ここから笑刻家人生が始まったワケですね。
そんなバナナな話ですよ。

それでは他にも岩崎さんが熱く私らに作品を説明してくれるので私も紹介します。

「月とすっぽんぽん」


「冥土喫茶モエ」


「ゲンキンですかー」


「ちょうしに乗る」


「シッパイダーマン」


テレビや雑誌など80回以上紹介されていて、何度か個展も開かれているそうです。

九州では個展をやらないのか?と聞いたところ、スポンサーがあればやるというてました。

現在も個展の準備で半分は持ち出しているそうですが、それでもこの数。


最初の頃はドンドン作品を生み出していたそうですが、近年は歳で制作数が減っているそうです。
でも個展を開くにはもう十分あるのでいいかなと言うてました。

記念にストラップと本を購入して、最後に岩崎さんと写真をパチリ。
思った以上に長居して楽しんだ自転車屋をあとにするのでありました。


いやぁ、そこいらの有料ギャラリーより数倍も良かったわ。
(^o^)







  
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『三保の松原』来たけれど

2014年07月28日

 しろちゃ at 09:02  | Comments(0) | 世界遺産 | 静岡ぶら
富士山の世界遺産登録は誰でも知っているが、
富士山に関連するその他25の構成資産があるというのはあまり知られていない。

では他の構成資産とはどこなのか?

■山頂の信仰遺跡群
■大宮・村山口登山道
■富士山本宮浅間大社
■白糸の滝
■忍野八海(おしのはっかい)
■三保の松原等々〜、

全部を言うてたら長くなるのでやめますが、このように多くの富士山に関連する場所が共に世界遺産登録となっているのです。

その25ある構成資産のひとつ、
『三保の松原』に朝早くからやって来た私達。


三保の松原は、富士と松林、青い海が織りなす絶景が有名。

だけど富士山から45Kmも離れているのに何で世界遺産なの?

そう思う人もいるかも知れませんが、古くから絵画や和歌に多く取り上げられ愛されてきた風景なので富士山信仰の一部として認められたワケなんですね。

そんな三保の松原を早朝から歩く。

友人は車でまだ寝ているので私一人でテクテクと〜。


天気は微妙で曇り空。

見渡せば約7Kmの海岸線、早朝のジョギングの人や犬の散歩をする人以外すれ違う人はいません。


三保の松原といえば天女が羽衣を掛けたという天女伝説。
近くには羽衣伝説に登場する「羽衣の松」もあります。(現在の羽衣の松は2010年に世代交代したもの)


五万本以上の松を眺めながらの朝の散歩なんて、そりゃあ最高ですよ。
なんてったって日本三大松原のひとつですからね、ここは!


ついでと言っちゃあ何ですが、佐賀県唐津の虹の松原も日本三大松原で最高ですけどね☆

三保の松原といえば、やっぱり波打ち際から見える富士山!

そろそろ見えてくるハズじゃあ…


あれ?
こいつはもしや?この曇り空で?

…どうやら富士山の富の字も見えません。
霊峰富士山の神隠しか、それとも日頃のおこないが悪いからか?

ま、おこないの悪さは否定しませんが、見えない時には見えんのですよ。

見えたらこんな感じなのですよ。


しかし、前回来た記憶は綺麗さっぱり消えてるわ、今回は目の前から消えてるわで、こりゃまたココへ来いって事ですか?

(^_^;)ま、別に暇だからいいけどさ。

今回は朝のウォーキングと思って、清水灯台(日本最初の鉄筋コンクリート造灯台)まで歩いて帰るか…。







■三保の松原
■静岡県静岡市清水区三保


「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として2013年6月に世界遺産登録



〜三保の羽衣伝説〜

昔々のおはなし。三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。すると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。頃は十五夜。それは月明かりが美しい宵のことでした。







  
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日本一の千手観音(大覚寺全珠院)

2014年07月27日

 しろちゃ at 11:12  | Comments(0) | 寺・神社等 | 静岡ぶら
友人と焼津さかなセンターに寄ったあと、
そこからすぐ近くの曹洞宗『大覚寺 全珠院』
「日本一の千手大観音」を拝観しに行ってみました。

コチラでございます。


建物や駐車場、墓地等もまだ新しいので2003年に造立された観音様と一緒、もしくはそれ以降に建てられているようです。(現在も敷地内は増築中)

かといって新しい宗派でもなく、
曹洞宗大覚寺全珠院は、850年の開創で、最初は真言宗の寺院でしたが、荘園郷主大覚寺屋敷「本家愼田氏」の菩提寺として天台宗善修庵に引き継がれ、その後、曹洞宗大覚寺全珠院となり、現在に至るそうです。

ところで、勝手に進んでもええんですかいな?
寺の方々と会っても何もいわれないので勝手に参拝や撮影をしてもヨロシイようで。

それでは「焼津千手大観音」


仏師渡邊勢山氏の作で、高さ4.2 m、総重量2t、頭1.8m、足のサイズは60cmと日本一の大きさの千手観音として2003年に造立されました。




樹齢3〜400年の木曽ヒノキで造られていて、漆を塗り、手打ちの金箔でコーティングされています。


千手観音の手には人々の願いを叶える為の道具を持っています。


全珠院には観光バスも立ち寄るみたいで焼津の観光スポットとして千手観音は活躍中のようです。







■大覚寺 全珠院
■静岡県焼津市大覚寺1204
■TEL 054-270-6663
■拝観時間 9:00〜16:30
■P有、拝観自由(出来ない場合もある)
■日本一焼津千手大観音





  
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だから風邪ひくんたよ

2014年07月26日

 しろちゃ at 12:41  | Comments(0) | しろちゃ
のどがゴロゴロ、鼻はグズグズ
くしゃみもなかなか止まらない。

アンタ、そりゃ風邪だよ。


クーラーの近くにいるからだよ。
子供じゃあるまいし、よか歳でしょ!


そりゃあクーラー前で腹だして寝るのはさぞ気持ちよかもんでしょ。


まぁ、夏だし、わからんでもないけどさぁ。


しろちゃ「…ん?」




  
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兵隊寺と呼ばれる『常昌院』

2014年07月25日

兵隊寺とも呼ばれる
『常昌院』



静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)は緑豊かで静かな町。

そんな岡部町にある曹洞宗 『東谷山 常昌院』は、兵隊寺と呼ばれています。


何で兵隊寺なのか、わかっていますが行ってみましょう。

さすがに閉められた本堂へ勝手に入るワケにはいかないので、ちゃんと住職さんから許可を貰いました。


それじゃあ本堂に失礼いたしまして〜
ここまでの感じは一見何の変わりもないお寺さんの風景。


御本尊に挨拶を済ませ、
御本尊の後方を囲むように通路があるのでそちらへ行ってみます。

常昌院が兵隊寺と呼ばれる理由がそこにありました。


横から後ろの通路にかけてズラリと並ぶ兵隊さんの木像。


しかもそれぞれ顔や体型、服装が違い名前が書かれています。


陸軍や海軍の格好をしていたり、馬もいます。


通路中心の一番高い所にある木像は明らかに位の高い方でしょう。


察しの早い方ならもうお分かりだと思いますが、こちらの木像人形達は戦没者供養で祀られているのです。

この辺り(旧志太郡下・現在の焼津市、藤枝市)から日露戦争(1904〜1905年・明治37〜38年)に出征して戦死された勇士英霊223体(224体ともいわれる)が、当時の軍服姿で木像として祀られています。


地域の情報HPによりますと、
明治30年頃、老朽化した本堂の建立に伴い、地域の遺族や篤志家、檀家、一般の方々の浄財により日露戦争の英霊を奉る本堂(英霊殿)を建立しました。
木像は名古屋の彫刻家に依頼し、明治三十九年に完成。
完成した木像が駅に到着すると遺族たちは国旗を掲げ出迎えたといいます。
翌四十年の落慶安座式には静岡県知事も出席したそうです。

兵隊さんたちに深々と頭を下げ帰ろうとしていたら偶然やって来たボランティアガイドの方と遭遇。

市の職員に常昌院の説明をするためココで待ち合わせをしているらしく、まだ来ない職員のかわりに常昌院の説明をしてもらいました。


常昌院のような兵隊寺は全国に数ヵ所あるらしいです。

その他近所のおすすめスポットとして、車で五分程の神社を教えてもらったのでそちらも寄ってみたいと思います。

会わなかったら常昌院の話も神社の情報も知ることもなかっただけに偶然の出会いに感謝です。
(^-^)/







■東谷山 常昌院(兵隊寺)
■静岡県藤枝市岡部町内谷1967
■TEL 054-667-1590





  
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静岡県の神神社と三ツ鳥居

2014年07月24日

 しろちゃ at 14:57  | Comments(0) | 寺・神社等 | 静岡ぶら


静岡県藤枝市岡部町に鎮座する
『神神社(みわじんじゃ)』


近くの常昌院(兵隊寺)でボランティアガイドの方から偶然この場所を教えてもらう。

大和国(今の奈良県)大神神社の御分霊を戴きお祀りしたのが神社創建の由来で、創建は644年であります。

644年といえば大化の改新…の1年前ですね。

ボランティアの方が言うていたんですけど、ここには全国でも珍しい「三ツ鳥居」や「岩境」があるということです。


三ツ鳥居(三輪鳥居)といえば明神型鳥居の3つを1列に組み合わせたもので、(柱が4本の為、四脚鳥居とも呼ばれる)奈良県大神神社の三ツ鳥居が有名ですので分霊されたコチラにあるのも納得です。
(大神神社の三ツ鳥居は拝殿奥にあるため直接見ることは出来ない)

神神社は延喜式内社。
現在でも古代祭祀が行われていて、神体山としての森も保存されています。






■神神社 (ミワジンジャ)
■静岡県藤枝市岡部町三輪1288
■054-667-0039





境内案内板より〜

延喜式内 神神社 祭神 大物主大神(大国主神の和魂) 相殿 天照皇大神・葛城一言主神 例祭 十月十九日 創祀 皇極天皇三年(六四四年)四月中の牛の日 由緒 皇極天皇の御代東国に疫病が蔓延して人民が苦しみあえいだ時、先の崇神天皇の御代の吉例に倣って大和国三輪山大物主神を意富多多根古命二十六代の子孫三輪四位を神主としてこの地に祀り、 大難を救って戴いたのがこの神社創祀の由来である。文徳天皇仁寿元年(八五一年)正六位上の位を賜わってより順次叙位を重ねて、伏見天皇正応六年(一二九三年)正一位を賜わる。明治六年三月二十二日郷社に列せられた。当神社は古来本殿がなく、三ツ鳥居の奥が古代の斎庭であった。今でも例祭など主な祭りには、お山に五対の御幣を立て、本殿と同じ神饌を上げて祀る古代祭祀の姿を 残している。(岡部町民俗無形文化財)特殊神饌・例祭 白おこわを献ずる。・端午の節句(六月五日)茅巻を献ずる。特殊建造物三ツ鳥居(三輪鳥居)本殿 文化八年十月 拝殿 昭和六年十月 明神鳥居 文政九年十月奉建






  
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厚切焼豚の『富豚』で早めの晩飯

2014年07月23日

 しろちゃ at 22:56  | Comments(0) | 食べ物 | 佐賀ぶら | 麺日和



友人が厚切りチャーシューのラーメンが食べたいというので、佐賀県神埼にある『本格佐賀らーめん 富豚』へ行くことにする。

かなりの久しぶり。

私はラーメンの焼飯セットを(760円)+餃子も(390円)

友人は厚切り目的だったので炙り焼豚麺(880円)を注文。

厚切りの炙りは確かに食欲そそるよね。






■本格佐賀らーめん 富豚
■佐賀県神埼市神埼町城原1256-1
■ダイレックス日の隈店横
■TEL 0952-53-2800
■営業時間 11:00〜21:00
■不定休、P有、
■ラーメン550円、替玉130円




  
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日本一の立ち達磨(静岡県東光寺)

2014年07月23日



友人と日本一らしいという
「立ち姿のだるま像」を見に
静岡県静岡市の『東光寺』へ。

寺の入り口にすっくと立った
「葦葉達磨(ろようだるま)大師像」


酒入ヒョウタンを杖に掛け、手にワラの靴を持った大師様。


揚子江を葦の葉に乗り横切ったという波乗り上手な伝説も。

こわそうだけど、どこか愛嬌のあるお顔で何ともよろしいのですが、思ってたより石像は普通の大きさです。

この大きさだったらもしかすると全国のどこかに日本一の立ち達磨像があるかもしれません。

寺には他にも
曹洞宗の開祖、道元の像や


ブランドの猫や


達磨の像が色々とあります。


友人は動く達磨像でずっと遊んでました。






■曹洞宗谷田山 東光寺
■静岡県静岡市清水区谷田9-15
■Tel. 054-345-7388





〜案内板より〜
東光寺 葦葉達磨大師像について

ダルマ様は今から約1500年前、インドの香至 国の王子として生まれました。60歳で中国に渡り、少林寺で壁に向かって9年間座禅を続け「禅」を中国に広めました。その教えが後に日本に伝わり曹洞宗、臨済宗、黄檗宗となりました。従ってこれらの禅宗のお寺では本尊様の左隣に達磨大師様をお祀りしています。現在私たちが普段見かける赤くて丸い「だるま」に代表されるように、ダルマ像は座禅をしている姿をあらわした坐像が一般的です。東光寺にこのたび建立された「葦葉達磨大師像」はダルマ像としては大変珍しい立像です。酒の入ったヒョウタンを杖の先に引っかけ、片手に鞋(あい・わらの靴)を持った人間味溢れるお姿をしています。足元はダルマ様が中国揚子江を葦の葉っぱに乗って横切ったという言い伝えをもとに、葦の葉と揚子江の波が現されています。ダルマ様の敬えとして有名なエピソードを一つ紹介します。ダルマ様が座禅をしている最中、慧可(えか)という人が訪ねてきました。達磨「あなたは私に一体何を求めているのですか。」慧可「私の心の不安を取り除いてください。」達磨「わかりました。ではその不安な心を持ってきなさい。そうしたら心を安らかにしてあげます。」慧可「どうにかして心を持ってこようとしましたができません!」 達磨「これであなたの心を安らかにすることができました。」ダルマ様は姿や形がありもしない 「心」にこだわってとらわれているから、不安になったり悩んだりするのだ、だからこだわるなと教えたのです。このダルマ様の一言で慧可は悩み続けた心の闇が切り開かれ、ダルマ様の弟子になりました。禅を中国に伝えた当時のお姿をあらわした「葦葉達磨大師像」に手を合わせ、葦の葉にさわって御利益をお受けください。






  
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サッカー神社(静岡県魚町稲荷神社)

2014年07月23日

ちょっとあれ見な、オヤジが通る
暇をもて余し、町じゅうまわる〜♪

どこかで聞いたような歌を替えて歌いながら、サッカーの町・静岡市清水区にやって来た暇なオッサン。

この辺りに「サッカー神社」と呼ばれる神社があるというので、友人の案内で行ってみることに。

サッカー神社こと『魚町稲荷神社』


静岡の清水といえば清水エスパルス。
毎年こちらの神社で出陣式をしているそうですよ。

元々魚町稲荷神社は江尻城を守る為に建てられた神社なのですが、なんでまたサッカー神社と呼ばれるようになったのか‥?

あ、ほら!サッカー神社と呼ばれるだけあって1.6mの巨大な御影石のサッカーボールがありますよ。


このサッカーボールの石碑には「日本少年サッカー発祥の碑」と記されています。

そう、サッカーが好きな人なら一度は聞いといた方がよいかも…、
いや、聞かなくてもよいけど、ちょっとした少年サッカーの歴史を知る絶好の機会。

石碑の案内文にはこう書かれています。
ちょっと長いので多少さっ引きますが〜

…………………………………………

ごく平凡な地域のひとつだった清水に昭和三十一年、魚町稲荷神社隣の江尻小学校にサッカー好きの新任教師(堀田哲爾)が赴任してきました。
当時江尻小学校には「ボールを足で蹴ってはいけない」という校則がありましたが、先生と子供達のサッカーを楽しむ様子を見て校長先生が許可しました。
これが『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけになるのです。
それはまだ体育科のボール運動に“サッカー”が登場する十二年も前のことです。

江尻小を皮切りにその後、清水市内には小学生チームが次々と誕生、昭和四十二年には『国内初の小学生リーグ』がスタート、指導者育成の為、コーチングスクールも開校されました。
この年、東海四県サッカー大会が開催され、日本一のチームをつくる一貫として、清水市内の江尻小・入江小・庵原小の子供を集め選抜チームを結成し優勝、これが清水FCの前身です。

その後もサッカーに関わる多くの方の献身的な活動・努力により「サッカーのまち清水」ができあがりました。
現在では『ゆりかごから息続くまで』を合い言葉に、三歳のチャイルドサッカーから、年輩の方のOBリーグまで、あらゆる年代の人達が“いつでもどこでも誰とでも”清水市のどこかでサッカーを楽しんでいます。
この碑は当地が清水のサッカーを発展させた原点の一つであり、日本の少年サッカーチーム発祥の地である事を記念して創られました。

平成十一年十一月十一日 日本少年サッカー発祥の碑を創る会

…………………………………………


…わかったような、わからなかったような、でもなるほどです。
十一のゴロで合わせるところがいかにも11人のサッカーって感じ。(そこ?)
「ゆりかごから息続くまで」なんて実際は無理でしょうが、清水のサッカー魂がわかる文ですよね。

よーし、私も大空さんのように蝶々サンバで燃えて青春かけぬけるぞー!







■魚町稲荷神社(サッカー神社)
■静岡県静岡市清水区江尻町14-74
■サッカー御守りなどもある
■清水江尻小学校隣




  
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