『山梔窩』と真木和泉守保臣
2014年10月15日
しろちゃ at 13:03 | Comments(0) | 福岡ぶら

福岡県筑後市の水田天満宮まで来たついでに近くの『山梔窩』に行ってみました。
『山梔窩(さんしか=くちなしのや)』とは、禁門の変(蛤御門の変)により自刃した幕末の勤王志士・真木和泉守保臣(まきいずみのかみやすおみ)が久留米藩の藩政改革に失敗し、約10年蟄居を命じられた(謹慎生活を過ごした)家であります。
〜って言いながらココに来るまで全く知らなかった私です。
そんな山梔窩が真木和泉守没後150年、筑後市制施行60周年としてたまたま10月のあいだ一般公開されていました。

山梔窩という家名の由来は、
「山梔」が「くちなし」ということから、庭に山梔が植えられていたからとか、「口なし」(藩に口を出したので何も言わない・発言を止められた自分の立場)という意味があるともいわれています。
正直、知らずに来たのでさっぱりなんですが、家の中に入ると机の上には真木保臣について簡単な説明が書かれた紙が置かれていました。
読んでみると、
真木保臣(1813〜1864)とは、
国学・和歌をたしなみ、音楽にも明るい文化人で力士並みの体格で弓術は免許皆伝の人物だそうです。
幼くして久留米水天宮22代神職を継ぎ…、
あ、そういや久留米の水天宮に真木神社があったわ。
で、水天宮の神職が何故こうなった?
水戸に遊学後、藩政改革に関与するが、藩主有馬頼永の死とその後の藩政の混乱によって神職を解かれ水田の大鳥居信臣のもとへ蟄居(ちっきょ)を命じられる…。
だから水田天満宮の近くに山梔窩があるのか。
その後の話も長々あるけど、薩摩に脱藩したり、久留米に送還されたり、倒幕推進で長州と仲良くして浪士隊を率いて蛤御門(はまぐりごもん)の変で敗退して最終的には自刃(じしん)してます。
幕末って感じですよね…。
現在の山梔窩は昭和43年(1968)筑後郷土史研究会・山梔窩保存会により、現在地に移築・復元されて県の指定史跡となってます。
どうせ私の事だからスグに忘れるんだろうけど、ひとつ物知りになった気がしたわ。
あとから友人に話したら、NHKの「八重の桜」で俳優の嶋田久作さんが演じてたんだってさ。
やっぱり知ってる人はよく知ってるんだね。
一応目的はマンホールカード『北九州市漫画ミュージアム』
神さま!私にウナギパワーを!北九州『田舎庵』
北九のド豚骨『魁龍』で晩飯前の飯
九州初!福岡の巨大ガンダム像!
福岡八女の日本一の仏壇!
福岡のカッパ駅なら『田主丸駅』
もはや超A級!風鈴まつり開催中のかえる寺『如意輪寺』
朝倉で中華な昼飯『白楽天』
宝満山と竈門神社
暇なので『大宰府政庁跡』を散歩
神さま!私にウナギパワーを!北九州『田舎庵』
北九のド豚骨『魁龍』で晩飯前の飯
九州初!福岡の巨大ガンダム像!
福岡八女の日本一の仏壇!
福岡のカッパ駅なら『田主丸駅』
もはや超A級!風鈴まつり開催中のかえる寺『如意輪寺』
朝倉で中華な昼飯『白楽天』
宝満山と竈門神社
暇なので『大宰府政庁跡』を散歩