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今も残る『魚雷発射試験場跡』
あれはいつだったか?
木々が黄色く色づき始め、秋風になびかれていた時。
特にアテなく車を走らせていたら長崎県川棚町の片島まできていました。
片島といえば大崎半島の対岸に伸びる緑豊かな半島のこと。
ほんに静かな所ですが、元は海に浮かぶひとつの島で、太平洋戦争時に埋めたてられ陸続きになったそうです。
そんな片島の戦争遺構
『片島魚雷発射試験場跡』
ここでは工場でつくられた魚雷の発射試験が行われていました。


草木をかき分け向かった先に建物が見えてきましたよ。(木が切られたり柵がされたりと以前より変わっていました)

教会のようにみえるのが魚雷収蔵施設です。

屋根は落ちて外壁だけが残っています。

建物の中には樹木が。

朽ちゆく建物内部でざわめく木々は風と同じでどこか優しいよ。

静かなこの地に立っていると馬鹿なりに何かを感じます。
「戦争と平和」、この自然が生み出す平和の樹こそ我ら地球からのメッセージなのではないでしょうか。

建物から海に架かる五連アーチの橋の先には発射台と監視塔。


橋には魚雷運搬の跡がのこり、一部かなり崩れていて危険です。


でも近所の子供や釣り客はそんなこと気にしないんだな。


収蔵施設から進んでいくと先にも監視所がありますよ。

ただこちらも崩落しています。

試験場跡の小高い山をのぼっていくと展望観測所もありますが、草木がかなり生い茂って道が険しいのでやめときます。

このままもう少し居たいけど、お腹がすいてきたのでそろそろ帰ります。

■片島魚雷発射試験場跡
■長崎県東彼杵郡川棚町三越郷
■立ち入り禁止区域の為許可必要
「片島魚雷発射試験場跡」
佐世保鎮守府が開庁されて間もなく、海軍工廠が佐世保湾の北岸に開設された。
この工場で製造される魚雷を実地に発射実験するために大正七年(一九一八年)川棚村三越郷の片島に魚形水雷発射試験場が設置された。
発射した魚雷の進行状況を頂上の観測所から観測し性能試験を行った。
太平洋戦争勃発後、昭和一七年(一九四二年)川棚に分工廠が設置されたことに伴い、魚雷発射場の施設がさらに拡張され、その際に片島は海峡が埋め立てられて陸続きとなった。
平成一八年(二〇〇六年)
川棚町教育委員会
〜〜案内板より〜〜