肥前鳥居その23 、佐賀県五龍神社
2013年08月08日
しろちゃ at 11:54 | Comments(0) | 肥前鳥居巡り
佐賀県佐賀市鍋島にある『五龍神社』に肥前鳥居を求めてやって来ました。

二の鳥居として小型の肥前鳥居がありました。
製作年不明、二本継ぎ柱の肥前鳥居。

入口の案内板には神社説明が記されていますが肥前鳥居の説明に関しては触れられていません。
額には五龍大明神の文字が。
五龍大明神に関して案内板の神社説明を簡単に読みますと〜
昔この辺りの田中という龍神信仰の長者が村に一祠をたて五龍社と称し一族の繁栄を祈っていたのが始まりだそうです。
やがて里人達も鎮守の神として崇敬するようになり、のちに與賀神社の摂社となり二の宮と称せられたそうです。
なるほどなぁ〜、といかにも知ったようなうなずきをしながらよくわかってない私です。
それより、綺麗に手入れしてある神社だなぁ。
小さな神社だと管理が行き届かず境内や拝殿のあちこちが傷んでいるものだけど。

しばらく前に一部改装したのでしょうけど、境内の草木の手入れや掃除がちゃんとされていて気持ちよく参拝出来る環境なのです。
二の肥前鳥居の奥、拝殿前には真新しい平成の肥前鳥居がありました。

正確にいえば肥前鳥居に似た鳥居。
笠木・島木は肥前鳥居なのですが、貫と柱に継ぎが無しです。
挨拶済ませ境内を散策すると
愛くるしい狛犬や、

肥前狛犬もあったり、

ヘビの脱け殻(皮)もありと

ちょっとテンション上がってると、
朝掃除をしていたおばあちゃん(神社関係の方?)が、「ヘビの皮は持ってると運が上がるから良かったね」
と笑顔でいうてくれるので、こちらも笑顔で(内心ビビりつつも)おそるおそる皮を持って帰りました。
肥前鳥居を見に来た帰りに、まさかヘビの皮を持ち帰るとは予想もしなかったよ‥。
しかし持って帰ってもどうすんだ??
(^o^;)
案内板の説明
神社略記
御祭神 海童神(龍神) 五穀豊穣、 商売繁盛、交通・航海安全、安産、諸災 除去の守神 併祀の神
天照皇大神‥‥国民の総氏神、人間生活の総守神
仁徳天皇‥‥人情豊かで御慈悲深く家内安全、安産の守神
菅原道真公‥‥学問の守神
境内社 足手荒神社‥‥手足諸病痛 除去の守神
九頭龍権現社‥‥祈願達成の守神
不動明王‥‥祈願達成の守神
薬師如来‥‥皮膚病除去等の如来様
由緒沿革
当社縁起によれば当地方の長者田中某(今は地名となって残っている)は 広く商売を営み、巨万の財宝を蓄え、大 船を浮べ大陸と交易したため、かねて海上の平安を祈り、龍神を深く信仰していた。
或夜の霊夢により西方の海中から不思 議な光を伴い黄金色の霊石を得たので危難除去の守護神として国家の鎮護と一族 の繁栄を祈願し、村の西隅に一祠を建て、五龍社と称した。
時まさに今を溯る一四二一年前のことで第二十九代欽明天皇二十六年である。
このことを知った里人も鎮守の神として崇敬し、霊験あらたなるものを感ずるにつれ信仰の度は益々深まり、のちには与賀神社の摂社として二の宮とも称せられた。
藩祖鍋島直茂公は家臣多久長門に命じて七社明神を配祀し、初代藩主勝茂公は親しく参拝の上、元和年間に社殿を造営し併せて八戸村の田地四丁八反を祭祀田として奉納すると共に松・樟 千本を境内を中心に植栽奉納した。
このようにして藩政時代は神事も盛 大に行われていたが、藩政奉還による変革で明治六年に村社に列せられ、同二十九年には管内数社を併祀し本日に至っている 。
■佐賀県 五龍神社
■佐賀市鍋島町大字八戸1053番地
■肥前鳥居(年代不明)
■肥前鳥居(平成製作)

二の鳥居として小型の肥前鳥居がありました。
製作年不明、二本継ぎ柱の肥前鳥居。
入口の案内板には神社説明が記されていますが肥前鳥居の説明に関しては触れられていません。
額には五龍大明神の文字が。
五龍大明神に関して案内板の神社説明を簡単に読みますと〜
昔この辺りの田中という龍神信仰の長者が村に一祠をたて五龍社と称し一族の繁栄を祈っていたのが始まりだそうです。
やがて里人達も鎮守の神として崇敬するようになり、のちに與賀神社の摂社となり二の宮と称せられたそうです。
なるほどなぁ〜、といかにも知ったようなうなずきをしながらよくわかってない私です。
それより、綺麗に手入れしてある神社だなぁ。
小さな神社だと管理が行き届かず境内や拝殿のあちこちが傷んでいるものだけど。

しばらく前に一部改装したのでしょうけど、境内の草木の手入れや掃除がちゃんとされていて気持ちよく参拝出来る環境なのです。
二の肥前鳥居の奥、拝殿前には真新しい平成の肥前鳥居がありました。
正確にいえば肥前鳥居に似た鳥居。
笠木・島木は肥前鳥居なのですが、貫と柱に継ぎが無しです。
挨拶済ませ境内を散策すると
愛くるしい狛犬や、
肥前狛犬もあったり、

ヘビの脱け殻(皮)もありと
ちょっとテンション上がってると、
朝掃除をしていたおばあちゃん(神社関係の方?)が、「ヘビの皮は持ってると運が上がるから良かったね」
と笑顔でいうてくれるので、こちらも笑顔で(内心ビビりつつも)おそるおそる皮を持って帰りました。
肥前鳥居を見に来た帰りに、まさかヘビの皮を持ち帰るとは予想もしなかったよ‥。
しかし持って帰ってもどうすんだ??
(^o^;)
案内板の説明
神社略記
御祭神 海童神(龍神) 五穀豊穣、 商売繁盛、交通・航海安全、安産、諸災 除去の守神 併祀の神
天照皇大神‥‥国民の総氏神、人間生活の総守神
仁徳天皇‥‥人情豊かで御慈悲深く家内安全、安産の守神
菅原道真公‥‥学問の守神
境内社 足手荒神社‥‥手足諸病痛 除去の守神
九頭龍権現社‥‥祈願達成の守神
不動明王‥‥祈願達成の守神
薬師如来‥‥皮膚病除去等の如来様
由緒沿革
当社縁起によれば当地方の長者田中某(今は地名となって残っている)は 広く商売を営み、巨万の財宝を蓄え、大 船を浮べ大陸と交易したため、かねて海上の平安を祈り、龍神を深く信仰していた。
或夜の霊夢により西方の海中から不思 議な光を伴い黄金色の霊石を得たので危難除去の守護神として国家の鎮護と一族 の繁栄を祈願し、村の西隅に一祠を建て、五龍社と称した。
時まさに今を溯る一四二一年前のことで第二十九代欽明天皇二十六年である。
このことを知った里人も鎮守の神として崇敬し、霊験あらたなるものを感ずるにつれ信仰の度は益々深まり、のちには与賀神社の摂社として二の宮とも称せられた。
藩祖鍋島直茂公は家臣多久長門に命じて七社明神を配祀し、初代藩主勝茂公は親しく参拝の上、元和年間に社殿を造営し併せて八戸村の田地四丁八反を祭祀田として奉納すると共に松・樟 千本を境内を中心に植栽奉納した。
このようにして藩政時代は神事も盛 大に行われていたが、藩政奉還による変革で明治六年に村社に列せられ、同二十九年には管内数社を併祀し本日に至っている 。
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肥前鳥居みたいな『筥崎宮』の筥崎鳥居
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肥前鳥居その66、佐賀県鷹屋神社
肥前鳥居その65、佐賀県岡山神社(小城公園)
肥前鳥居その64、佐賀県下石動天満宮
肥前鳥居その63、福岡県三島神社(三豬町)
肥前鳥居その62、佐賀県藤ノ木天満宮
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